石塚左玄の生涯
石塚左玄の生涯
2013年12月30日石塚左玄の生涯
石塚左玄は今の福井市で代々医師の家に生まれ、20歳まで福井藩の学校や病院で薬剤師や医師の勉強を行っています。
嘉永四年(1851) 福井市子安町で町医泰輔の長男として生誕
慶応三年(1867) 福井藩医学所に通学
明治元年(1868) 福井藩医学校雇い
明治二年(1869) 〃 読試補
明治三年(1870) 泉病院 調合方勤務 (給録 12俵)
明治四年(1871) 泉病院 診察方調合方勤務・グリフィスに学ぶ(給録 20俵)
明治五年(1872) 上京後 東大南校でグリフィスの助手
明治六年(1873) 薬剤師と医師の資格取得
〃 (1873) 文部省にてマルチンの助手
明治七年(1874) 陸軍軍医試補となる。 結婚
明治九年(1876) 長女文枝誕生
明治十年(1877) 西南戦争従軍
明治十三年(1880)「飲水要論」発表
明治十五年(1882) 次女本枝誕生
明治十八年(1885) 長男 右玄誕生
明治十九年(1886) 妻死亡
明治二一年(1888) 伊藤督と再婚
明治二八年(1895) 日清戦争従軍
明治二九年(1896) 陸軍少将薬剤監で陸軍退職
〃 「化学的食養長寿論」発表 石塚食療所開設
明治三一年(1898) 「食物養生法」を発刊
明治四十年(1907) 食養会発足左玄が顧問
明治四二年(1909) 58歳尿毒症で死亡