明治元年に石塚左玄が蘭語で書かれた「天文書」を読んで書き写したものです。
全部で約200ページ有りますが、30日間で読みあげて書き著しと伝わっています。
石塚左玄はオランダ語とドイツ語を独力で習得をしました。
当時オランダ語の参考書は皆無であり、蘭語の辞書も超高価で一般人には手にする事は現実には無理な事でした。
石塚左玄は蘭語の医学書を借りて読みたかったのですが、17歳の若造には誰も耳を貸す事も手助けも有りませんでしたが、どうにか借りる事が出来た門外漢の天文書で蘭語の勉強を深めたのです。
現代では中学校・高校・大学と英語を義務教育でも学びますが、石塚左玄が勉強した当時とは大変に恵まれた教育環境になっています。英語の参考書もあり触れており、テレビやラジオでの英語教室や町の中に有り英会話教室でも簡単に安価で英語をマスター出来るようになりました。しかしその様な恵まれた環境下でも、磾ッ葉の日本人は英語の1ヵ国語も自分のものに出来ていないのが実情です。
江戸から明治に変わる大激動の時代に、勉強をするにはあまりにも劣悪な中でも外国語の2ヵ国語を手に下石塚左玄は真の意味で努力家であり、勉強家でありました。
石塚左玄からは現代の食生活を反省して食の訓えをしっかりと学ぶべきですが、17歳の(今なら高校3年生)勉学に対する熱い思いとその実践に是非とも学んでほしいと思います。